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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。(感想・考察・謎解き)  (ネタバレあり)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)の謎解き。事件の真相・犯人を推理し、特定します。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。 目次

本ブログは、村上春樹色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(文藝春秋)の感想・考察・謎解き・書評です。事件の真相・犯人を推理し、特定します。

 

*激しくネタバレしています。ご注意願います。

 

本エントリーは目次です。(初めてこのBlogを訪問された方は、はじめに本エントリーからご閲覧ください。)(最新エントリーはこちら。目次は中央あたりにあります。)

 

更新履歴はこちらです。

 

〈初めてこのブログを訪問された方へ〉

本ブログのエントリー本編は、①~⑭まであります。あとおまけが1つ、余談が22、書評が7つあります。)できれば本編から順に読んでいただけると嬉しいのですが、全部読んでいる暇のない方も多いと思いますので、そのような方は下記の目次から興味を持ったところから読んでいただければと思います。

ただし、後ろのエントリーは、前のエントリーで書かれたことを前提としていますのでわかりにくいかも知れません。

 

     事件の犯人だけを知りたい方は15.シロを殺した犯人は誰か?をご覧ください。(ただし、これだけを読んでも納得されないかも知れませんので、他のエントリーもできれば見ていただければ嬉しいです。)

 

目次

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である①

(②以降のエントリータイトルは「多崎つくる」・・・に省略します。)

1.「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。

追補.後期「村上春樹作品」に対する誤解(平成25年5月4日掲載)

2.「この小説は100パーセントのリアリズム小説」である。

 

「多崎つくる」・・・②

3.この小説のテーマは?

4.名前の意味は?(平成25年5月1日追記)

 

「多崎つくる」・・・③

5.多崎つくると選択的鈍感

6.アオ・・・健全なグループ、断罪者

 

「多崎つくる」・・・④

7.アカ・・・ミスリードホモセクシュアル

追補.カミングアウトの意味は?(平成2553日掲載)

 

「多崎つくる」・・・⑤

8.灰田①・・・緑川の話とは?

 

「多崎つくる」・・・⑥

9.灰田②・・・なぜ彼は去ったのか?

10.灰田③・・・灰(グレイ)の意味は?

11.「悪霊」とは何か?

 

「多崎つくる」・・・⑦

12.クロ①・・・生贄をささげる

13.クロ②・・・逃避行

14.クロ③・・・赦し

 

「多崎つくる」・・・⑧

15.シロを殺した犯人は誰か?

16.なぜ、犯人はシロを殺したのか?

 

「多崎つくる」・・・⑨

17.なぜ、シロはつくるにレイプされたと言ったのか?①

18.なぜ、シロはつくるにレイプされたと言ったのか?②

追補.以下は想像です。(平成2554日掲載)

 

「多崎つくる」・・・⑩

19.なぜ、シロはつくるにレイプされたと言ったのか?③

20.なぜ、シロは浜松へ行った?

 

「多崎つくる」・・・⑪

21.沙羅とは何者?

22.沙羅と一緒に歩いていた男性は誰?

 

「多崎つくる」・・・⑫

23.なぜ、シロへの巡礼がない?

追補.シロへの巡礼はあった?平成25年4月30日掲載)(5月2日追記)

24.沙羅はなぜ、多崎つくるに近づいたのか?

25.二人の結末は?①

 

「多崎つくる」・・・⑬

26.二人の結末は?②~クロの忠告を守ったときのシミュレーション

27.二人の結末は?③

 

「多崎つくる」・・・⑭

28.なぜ、村上春樹は結論を書かない?

29.「ノルウェイの森」のレイコさんを破滅させたあの女の子は一体何だったのか?

30.終わりに~「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。

 

「多崎つくる」・・・おまけ

おまけ.Another Endとその考察

 

余談その1 「良いニュースと悪いニュースがある。」の話の意味は?(平成25年5月1日掲載)(平成25年5月3日追記) 

余談その2 多崎つくるが抱いた「微かな異物感」の正体は?(平成25年5月5日掲載) 

余談その3 なぜ今回、村上春樹は「推理小説」を書いたのか?(妄想あり)(平成25年5月6日掲載) 

余談その4 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」はいつの年の話?(平成25年5月8日掲載)(平成25年5月9日追記) 

余談その5 村上春樹氏講演(5月6日)の真意は?(平成25年5月9日掲載) 

余談その6 この小説の構造は?①~3つの関門(平成25年5月11日掲載)

余談その7 この小説の構造は?②~緑川の話、灰田、「オカルト」の扉(平成25年5月12日掲載)

余談その8 この小説の構造は?③~多義的な解釈と一義的な解釈(平成25年5月13日掲載)

余談その9 沙羅の「2人の友達」とは誰?(平成25年5月14日掲載)(平成26年5月2日追記)

余談その10 面白いAmazonレビューがありました。(平成25年5月15日掲載)

余談その11 恵比寿のバーで別れた後の、2人の「それぞれの考え」とは?(平成25年5月16日掲載)

余談その12 この小説の「現在」は、何日から始まるのか?(平成25年5月17日掲載)

余談その13 なぜ、多崎つくるは仲間から絶交されたときに、すぐに真相を明らかにしようとしなかったのか?(平成25年5月18日掲載)(リンク先http://sonhakuhu23.hatenablog.com/entry/2013/05/18/085932

余談その14 「ル・マル・デュ・ペイ」とは何か?(平成25年5月18日掲載)(リンク先http://sonhakuhu23.hatenablog.com/entry/2013/05/18/200434

余談その15 なぜ、多崎つくる達の故郷は名古屋なのか?(平成25年5月19日掲載)(リンク先http://sonhakuhu23.hatenablog.com/entry/2013/05/19/084742

余談その16 嫉妬の夢の意味は?(平成25年5月20日掲載)

余談その17 なぜ、エリは「私のことをもうクロって呼ばないで。」と言ったのか?(平成25年5月21日掲載)

余談その18 沙羅の言葉(工程表、含み)、アカの言葉(平成25年5月22日掲載)

余談その19 「爆笑問題」太田光、「多崎つくる」をブッタ斬る!?(平成25年5月23日掲載)

余談その20 灰田の「自由にものを考えるというのは・・・」の話の意味は?(平成25年5月24日掲載)

余談その21 ピアノ・ソナタの夢の意味は?(平成25年5月25日掲載)

余談その22 ポール・オースター「幽霊たち」を読む(ネタバレあり)(平成25年5月30日掲載)

 

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」書評①~多崎つくるが「色彩を持たない」とは?(平成25年5月26日掲載)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」書評②~主人公の孤独(平成25年5月27日掲載)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」書評③~「過去」か、「現在」か(平成25年5月28日掲載)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」書評④~「デタッチメント」と「コミットメント」(平成25年5月30日掲載)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」書評⑤~「根源的な悪」(平成25年6月1日掲載)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」書評⑥~「悪霊がとりついた人間」を我々は赦すことができるのか?(平成25年6月2日掲載)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」書評⑦~真実は追求されるべきか?(平成25年6月13日掲載)

 

☆新ブログ「謎解き 村上春樹」を立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。(平成25年6月4日)

☆新ブログ「古上織蛍の日々の泡沫」 を立ち上げました。歴史考察(戦国時代・三国志)、書評及び日々の雑想のブログです。こちらもよろしくお願いします。(平成25年7月11日)◇村上春樹 関連 目次 (「村上春樹作品における「悪」について」 他)はこちら 

更新履歴

(目次に戻る)(初めてこのブログに来られた方はまず目次をご覧ください。)  

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本ブログ(「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。)の更新履歴です。

 

☆☆更新履歴☆☆

・平成26年5月2日 エントリー「余談 その9 沙羅の2人の友達とは誰?」に追記。(リンク先-余談 その9- 

・平成25年6月13日 新規エントリー「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』  書評 ⑦~真実は追求されるべきか?」を掲載。(リンク先-書評⑦-

・平成25年6月2日 新規エントリー「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』  書評 ⑥~『悪霊がとりついた人間』を我々は赦すことができるのか?」を掲載。(リンク先-書評⑥-

・平成25年6月1日 新規エントリー「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』  書評 ⑤~『根源的な悪』」を掲載。(リンク先-書評⑤-

・平成25年5月30日 新規エントリー「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』  書評 ④~『デタッチメント』と『コミットメント』」を掲載。(リンク先-書評④-

・平成25年5月30日 新規エントリー「余談 その22 ポール・オースター『幽霊たち』を読む(ネタバレあり)」を掲載。(リンク先-余談22-

・平成25年5月28日 新規エントリー「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』  書評 ③~『過去』か、『現在』か」を掲載。(リンク先-書評③-

・平成25年5月27日 新規エントリー「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』  書評 ②~主人公の孤独」を掲載。(リンク先-書評②-

・平成25年5月26日 新規エントリー「『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』  書評 ①~多崎つくるが『色彩を持たない』とは?」を掲載。(リンク先-書評①-

・平成25年5月25日 新規エントリー「余談 その21 ピアノ・ソナタの夢の意味は?」を掲載。(リンク先-余談21-

・平成25年5月24日 新規エントリー「余談 その20 灰田の『自由にものを考えるというのは・・・』の話の意味は?」を掲載。(リンク先-余談20-

・平成25年5月23日 新規エントリー「余談 その19 『爆笑問題太田光、『多崎つくる』をブッタ斬る!?」を掲載。(リンク先-余談19-

・平成25年5月22日 新規エントリー「余談 その18 沙羅の言葉(工程表、含み)、アカの言葉」を掲載。(リンク先-余談18-

・平成25年5月21日 新規エントリー「余談 その17 なぜ、エリは『私のことをもうクロって呼ばないで』と言ったのか?」を掲載。(リンク先-余談17-

・平成25年5月20日 新規エントリー「余談 その16 嫉妬の夢の意味は?」を掲載。(リンク先-余談16-

・平成25年5月19日 新規エントリー「余談 その15 なぜ、多崎つくる達の故郷は名古屋なのか?」を掲載。(リンク先-余談15- 

・平成25年5月18日 新規エントリー「余談 その14 『ル・マル・デュ・ペイ』とは何か?」を掲載。(リンク先http://sonhakuhu23.hatenablog.com/entry/2013/05/18/200434) 

・平成25年5月18日 新規エントリー「余談 その13 なぜ、多崎つくるは仲間から絶交されたときに、すぐに真相を明らかにしようとしなかったのか?」を掲載。(リンク先 http://sonhakuhu23.hatenablog.com/entry/2013/05/18/085932 

・平成25年5月17日 新規エントリー「余談 その12 この小説の「現在」は、何日から始まるのか?」を掲載。(リンク先-余談12-

・平成25年5月16日 新規エントリー「余談 その11 恵比寿のバーで別れた後の、2人の『それぞれの考え』とは?」を掲載。(リンク先-余談11-

・平成25年5月15日 新規エントリー「余談 その10 面白いAmazonレビューがありました。」を掲載。(リンク先-余談10-

・平成25年5月14日 新規エントリー「余談 その9 沙羅の『2人の友達』とは誰?」を掲載。(リンク先-余談9-

・平成25年5月13日 新規エントリー「余談 その8 この小説の構造は?③~多義的な解釈と一義的な解釈」を掲載。(リンク先-余談8-

・平成25年5月12日 新規エントリー「余談 その7 この小説の構造は?②~緑川の話、灰田、「オカルト」の扉」を掲載。(リンク先-余談7-

・平成25年5月11日 新規エントリー「余談 その6 この小説の構造は?①~3つの関門」を掲載。(リンク先-余談6-

・平成25年5月9日 新規エントリー「余談 その5 村上春樹氏講演(5月6日)の真意は?」を掲載。(リンク先-余談5-

平成25年5月9日  「余談 その4 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』はいつの年の話?に追記。(リンク先-余談4-

・平成25年5月8日 新規エントリー「余談 その4 『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年』はいつの年の話?」を掲載。(リンク先-余談4-

・平成25年5月6日 新規エントリー余談 その3 なぜ今回、村上春樹は「推理小説」を書いたのか?(妄想あり)」を掲載。(リンク先-余談3-

・平成25年5月5日 新規エントリー「余談 その2 多崎つくるが抱いた『微かな異物感』の正体は?」を掲載。(リンク先-余談2-

・平成25年5月4日 (18.なぜ、シロはつくるにレイプされたと言ったのか?②)に追補.以下は想像です。)を掲載。(リンク先-⑨-

・平成25年5月4日 (1.「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。)に追補.後期「村上春樹作品」に対する誤解)を掲載。(リンク先-①-

・平成25年5月3日 (7.アカ・・・ミスリードホモセクシュアル)に追補.カミングアウトの意味は?)を掲載。(リンク先-④-

・平成25年5月3日 「余談その1 「良いニュースと悪いニュースがある。」の話の意味は?」に追記。(リンク先-余談1-

・平成25年5月2日 追補.シロへの巡礼はあった?)追記。(平成25年4月30日更新履歴の注意事項・リンク先をご覧ください。)

・平成25年5月1日 新規エントリー「余談その1 「良いニュースと悪いニュースがある。」の話の意味は?」を掲載(リンク先-余談1-

・平成25年5月1日 (4.名前の意味は?)に追記(リンク先-②-

・平成25年4月30日(23.なぜ、シロへの巡礼がない?)に追補.シロへの巡礼はあった?)を掲載。(リンク先)(23.を初めて見る方はできればリンク先⑫を見る前にあたりのエントリーから順番にご覧願います。かなりの謎解きのネタバレをしています。)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 書評 ⑦~真実は追求されるべきか?

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  以下の書評は、本ブログの本編と余談の推理を前提としています。初めてこのブログを読まれる方はできれば本編からご覧願います。(目次に戻る)

 

書評はで終わりにしようと思っていましたが、ちょっと引っかかっていた点があり補足します。

村上春樹氏のニューヨーカーへの、ボストンマラソンテロ事件を受けての寄稿文に以下のような一節があります。

Why? I can’t help asking. Why did a happy, peaceful occasion like the marathon have to be trampled on in such an awful, bloody way? Although the perpetrators have been identified, the answer to that question is still unclear. But their hatred and depravity have mangled our hearts and our minds. Even if we were to get an answer, it likely wouldn’t help.なぜ?私は答えることができません。私は問わずにはいられません。(デルスーさんのご指摘により訂正します。)なぜ、マラソンのように幸福で平和な機会がこのような恐ろしく血みどろの方法で踏み潰されなければならないのでしょうか。加害者が特定されたとしても、質問への答えはいまだにはっきりしません。しかし、彼らの憎しみと邪悪さは私たちの心と魂を切り裂きました。たとえ答えを見つけたとしても、それがわたしたちを助けてくれないでしょう。)」

このメッセージは、この小説の沙羅の「真相は追求されるべき、主人公は目を逸らさずに真相と向き合うべきだ」というメッセージと矛盾するのではないか?と思いました。しかし、よく考えてみますと、スピーチのメッセージと沙羅のメッセージは矛盾していない、あるいはこの矛盾した立場が現在の村上春樹の立ち位置なのではないかと考えます。

 

この寄稿文には前述したようにSeeking revenge won’t bring relief, either.(また、復讐を求めることも、安心を得ることはできません。)」という一節があります。この事件が起きたときに村上春樹は事件の犠牲を深く悲しむとともに、この事件が911後に起こったアメリカの対テロ報復戦争のような報復戦争が起こるきっかけにならないように深く警戒しています。

真相を求めるということは、必ずしもいつも正解にたどり着くとは限りません。緑川の話は、真実を求めた結果が間違った真実にたどり着いてしまう危険性を暗示しています。また、真相を求める行為というのは、安易な犯人探しに堕してしまう危険性があります。我々が事件の真相を求める時、本当に真相を求めているのでしょうか?犯人を探して報復することの方を求めている場合もあるのではないでしょうか。犯人を探しても見つからないとき、我々はその事実に納得できません。疑わしい人間を犯人として決め付けたりすることもあります。疑わしい人間がいなければ、報復する標的をつくるために犯人を仕立て上げることすらあります。911後にアメリカが報復のために起こした愚行、そしてそれを多くのアメリカの普通の市民達が支持したことを思い出すと、我々は、はじめに真相を求めるための行為だったはずのものが、報復する標的をつくるために犯人を仕立て上げるまでに堕する可能性に思いをしなければいけません。

このため、村上春樹は「たとえ答えを見つけたとしても、それがわたしたちを助けてくれない」と書きます。真実を求めることが、わたしたちの助けになるとは限りません。むしろ真実を求めた結果が、間違った真実や、報復という結論に辿りつくぐらいなら、真相など知らなくても良いのだとすら村上春樹は考えています。真相を知らなくても、我々は同じ傷で繋がっていることがわかり、犯人もまた被害者であることを理解すれば相手を赦すこともできるかもしれません。実際には難しいことですが。

しかし、一方でこの小説では「沙羅」という「真実を求めるべき」というキャラクターが登場し、主人公を導きます。

村上春樹氏へのインタビューに以下のように書かれています。(以下、平成2556日 産経ニュース(web版)より引用)

今回、短い小説にするつもりだった。(原稿用紙)70~80枚くらいの。多崎つくるが、再生していく話なんだけれど、名古屋の(高校時代の親友)4人を書かないで、(絶縁された)理由も書かないつもりだった。でも書いているうちに4人のことがどうしても書きたくなった。多崎つくるくんに(つくるの恋人の)木元沙羅が言います。(みんなに)会いに行きなさいと。つくるくんに起こったことがぼくに起こったんです。書きなさいと、沙羅に言われたんです。こういうふうに人を書いたのは初めてでした。

木元沙羅は僕をも導いている。書きなさいと。不思議な存在ですよね。導かれるというのが僕にとって大事。」

 村上春樹のインタビューによると最初の小説は、沙羅も、絶縁された理由を知る機会も、巡礼も存在しませんでした。とすると、この小説は主人公が絶縁された理由を全く知らないままに、ある事をきっかけに(ある事とは東日本大震災だと思われます)彼らも彼を絶縁したことによって傷ついた被害者だということに直感的に気が付き、彼らを赦す、そのことによって主人公が再生していくという話になっていたと思われます。おそらく読者にはわけのわからない話になっていました。よくある村上春樹のわけのわからない短編の1つとして「一種の不条理小説」「抽象的な実験作」として解釈されたでしょう。

 ところが、そこに沙羅が現れました。そして、主人公は真実を知るべきだと言って主人公を、真相を求める巡礼の旅へ導きます。村上春樹の主人公は、だいたいの場合作者の分身です。そして、作者の分身である主人公の行動によって物語が進みます。しかし、沙羅は作者の分身ではありません。沙羅は自分(作者)の中の他者です。自分の中の他者である沙羅に導かれ物語は展開していきます。主人公は沙羅に導かれるように(というか引きずられるように)して行動しますが、これは作者自身が沙羅に引きずられるようにこの小説を書いたことを示していたのですね。同じインタビューで作者は「(「色彩を持たない-」)は僕の書いた感じでは頭と意識が別々に動いている話です。」と言っていますが、これは「頭」が作者、「意識」が沙羅ということです。(その逆かもしれませんが。)

 つまりこの小説は、真相を求めることは危険が伴う、真相を知らなくても我々は赦すことができるという「多崎つくる」(村上春樹の分身)と、真相は求められなければいけない、そうでなければ我々は理解することができない、理解することが出来なければ、赦すこともできないという「沙羅」のせめぎあいで出来た作品です。せめぎあいというか一方的に沙羅に押されているように見えるのは私だけでしょうか・・・。

 巡礼に旅立ち、真実を知っていった多崎つくるは、全ての真相に到達する前にシロの傷を理解し、彼女を赦します。真実を知らなければ人は理解することもできないし、赦すこともできないという事実(沙羅)とともに、全ての真相を知ることができなくても人は人を理解できるし、赦すこともできる(つくる)というメッセージだと思います。

 そして「赦し」があった後、結局最後の真実を知りたいのか、という問題が残されています。水曜日に沙羅が真相を告げる、という前提でこのblogは進めてきましたが、沙羅が真相を告げずにつくるの元を去るという可能性も残されています。沙羅は、多崎つくるが「本当に真実を知りたい」ときだけ、真相を告げるつもりです。多崎つくるが午前4時前に沙羅にかけた電話は、これだけ切り取るとドン引きな方も多いかもしれませんが、沙羅にとっては、多崎つくるは真相を知ることを望んでいるというメッセージになります。しかし、電話のコールバックを取らないつくるは沙羅にとっては真相を知りたくないという意思だと受け取られたかもしれません。

最後の真実を知りたいのか、知りたくないのかは読者(プレイヤー)に委ねる形でこの小説は終ります。

(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。新ブログ「謎解き 村上春樹」もよろしくお願いします。) 

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 書評 ⑥~「悪霊がとりついた人間」を我々は赦すことができるのか?

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  以下の書評は、本ブログの本編と余談の推理を前提としています。初めてこのブログを読まれる方はできれば本編からご覧願います。(目次に戻る)

 

後期村上春樹作品において「根源的な悪」との対決が大きなテーマであることについて述べました。その物語の中で、「根源的な悪」に壊され、損なわれた人間も出てきます。

  

「根源的な悪」によって損なわれた人間が、他の人間や社会に恨みを抱き、自ら悪をなすことがあります。これが「悪霊がとりついた人間」です。地下鉄サリン事件は、根源的な悪によって自分を失った人間たちが悪をなしました。「悪霊がとりついた人間」が悪をなしたのです。

 

この小説では、「悪霊がとりついた人間」であるシロ(柚木)が登場します。シロによって被害を受け傷ついた多崎つくるは、長い巡礼の末彼女もまた被害者であったことに気が付き、彼女を赦します。

しかし、多崎つくるは決して「悪霊」の悪意の直撃を受けたわけではありません。「悪霊」の悪意の直撃を受けたことによって、自分が破滅したり、大切な人を殺されたりした場合に、本当に「悪霊がとりついた人間」を赦せるのか?そもそも、赦す必要があるのか?これは、重く結論の出ない問題です。

 

(以下、太字部分は村上春樹氏の、ニューヨーカーへのボストンマラソンテロ事件を受けての寄稿文から引用しました。)

 

しかし、Seeking revenge won’t bring relief, either.(また、復讐を求めることも、安心を得ることはできません。)」復讐は、更なる悪意を増幅させ、「根源的な悪」の栄養分となります。

 

We need to remember the wounds, never turn our gaze away from the pain, and—honestly, conscientiously, quietly—accumulate our own histories.我々に必要なのは、傷を忘れず、苦痛から決して目をそらさず、そして誠実に、意識的に、静かに我々自身の歴史を積み重ねることです。)」

 

そして、彼ら(「悪霊のとりついた人間」)を赦すことができなくても、彼らもまた被害者であったことを、我々は理解することが必要です。

 

以上で書評を終わります。また、当初このblogで書きたかったことは以上です。(今後思いついたことがあれば、また書くかもしれません。また、「まだ、この小説のこの部分が疑問なんだが」というのがありましたら、コメント欄にコメント願います。的確に答えられるか分かりませんが、一緒に考察してみます。)

 

 次回からは、村上春樹作品(長編)全般の書評・感想・謎解きを行いたいと思います。新ブログ「謎解き 村上春樹」を立ち上げましたのでご覧ください。初回は、「ノルウェイの森」の予定です。よろしくお願いします。

 

(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。) 

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 書評 ⑤~「根源的な悪」

(目次に戻る)(初めてこのブログに来られた方はまず目次をご覧ください。)  

 

*激しくネタバレしています。ご注意願います。「ねじまき鳥クロニクル」「スプートニクの恋人」「海辺のカフカ」「アフターダーク」「1Q84」への言及があります。

 

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  以下の書評は、本ブログの本編と余談の推理を前提としています。初めてこのブログを読まれる方はできれば本編からご覧願います。(目次に戻る)

 

後期村上春樹作品では、「根源的な悪」が大きなテーマとなります。(以下ネタバレ反転します。)

 

例えば、「ねじまき鳥クロニクル」では、主人公は「根源的な悪」と対決して相手を倒し、「根源的な悪」によって「ねじをゆるめられた」妻を取り戻そうとします。

また、「ねじまき鳥クロニクル」においては、「根源的な悪」についての歴史的な考察がなされます。

 

スプートニクの恋人」は少し異色な作品で、 「根源的な悪」によって損なわれ魂の半身を失ったミュウの、その損なわれた半身を取り戻すために異界に行くすみれの冒険が裏のストーリーとして存在するはずですが、その物語は語られず、すみれを待つ「ぼく」の話になっています。

かなり中途半端な物語ですが、これは当初、作者が「『ノルウェイの森』でレイコさんを破滅させた女の子」を「根源的な悪」として登場させるストーリーにしようと思ったのが、構想を進めていくうちに「どうもこの女の子は『根源的な悪』ではない」ということに気が付いてストーリーの変更を余儀なくされたためではないかと考えます。「スプートニクの恋人」については、他のブログ(作成予定)で語ることにします。

 

海辺のカフカ」は、 「根源的な悪」である父親から、「お前もいずれ『根源的な悪』になる」という呪いをかけられた少年の話です。少年は、この呪いから逃れるために旅に出ます。いかに少年が呪いを打破するかが、この物語のテーマになります。

 

アフターダーク」では、主人公2人は「根源的な悪」である白川とは直接は接触せず、すんでの所ですれ違い続けます。これは夜の闇の中ではいつ偶然に「根源的な悪」と遭遇してしまうか分からないという恐怖を描いています。いずれ主人公2人はマリの姉エリを取り戻すために「根源的な悪」と対決しなければいけませんが、昼の光の中では夜の闇は力を持たず、戦える余地はあります。

 

「1Q84」は、村上春樹が「根源的な悪」を描くきっかけになったオウム真理教をモチーフにした作品です。「根源的な悪」により、世界そのものが歪まされ、主人公2人は2つの月のある世界に迷い込みます。この歪んだ世界からいかに脱出し、世界を回復させるかがこの物語のテーマになります。

また、「1Q84」では、「リトルピープル」という概念が登場します。これは、現代の「根源的な悪」は、ジョージ・オーウェルが「1984年」で描いた「ビッグブラザー」(独裁者)のような形で出現するのではなく、「リトルピープル」(無名の人間達による、無数の悪意の集積)の形で出現するのではないかという考察です。

 

そして「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」では、「根源的な悪」は影に潜み、表に出てきません。主人公を含むグループのメンバーは身近に「根源的な悪」がいるにも関わらず、そしてメンバーの1人を決定的に損なっているにも関わらず、「根源的な悪」に気が付けません。

 

「『根源的な悪』の存在に気が付けない」というのが、この物語の隠されたテーマです。

この物語に出てくる「根源的な悪」は巧妙に身を隠し、登場人物達はその存在にすら気が付きません。身近に存在する「根源的な悪」に気が付けない恐怖をこの物語は描いています。

 

この物語に出てくる「根源的な悪」は、国際的なテロ組織のリーダーや邪悪なカルト宗教の教祖のような、ある意味巨大なわかりやすい形をとっていません。いわば「卑小」な「根源的な悪」です。しかし、「卑小」なのは対象とする人間の規模の話であって、「根源的な悪」によって損なわれる人間にとっては、危険性やダメージの大きさは変わりません。

そして一般の人間にとっては、こうした「卑小」な「根源的な悪」の方が身近にいて遭遇する確率が高いのです。彼らは巧妙にその存在を隠しています。

 

我々は、こうした「卑小」な「根源的な悪」によって人間が損なわれないように、まず「根源的な悪」の存在に気が付かなくてはいけません。それがたとえ困難なことであっても、気が付くことができなければ、「根源的な悪」が人間を損なうことを防ぐことができません。

 

また、この物語では「悪霊がとりついた人間」という新しい概念が登場します。(11.「悪霊」とは何か?参照)

 次回のエントリーでは「悪霊がとりついた人間」について検討します。

 

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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 書評 ④~「デタッチメント」と「コミットメント」

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*激しくネタバレしています。ご注意願います。

 

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  以下の書評は、本ブログの本編と余談の推理を前提としています。初めてこのブログを読まれる方はできれば本編からご覧願います。(目次に戻る)

 

 村上春樹作品を解説するキーワードに「デタッチメント」(関わりのなさ)と「コミットメント」(関わること)の言葉がよく使われます。

 前期村上春樹作品では、主人公は、世間や社会と関わりのないように生きていきます。世間や社会がどうであろうと、僕は僕で生きていくさ、やれやれ、という感じです。こうした主人公のライフスタイルが「デタッチメント」というキーワードでくくられています。

 

しかし、これは主人公が好き好んでそうしているわけでもなく、ファッションでもありません。(書評②~主人公の孤独参照)で示したとおり、主人公は主人公の特殊な事情により、他者と感覚を共有できず、共有できないが故に孤独なのです。こうした事情により孤独な主人公が、世界の中で生き延びること。これは切実な問題です。主人公は生き延びるために、自分だけの世界をつくります。好きな音楽を聞き、好きな本を読み、自分だけのルールを作り、自分だけのライフスタイルを築きます。こうした、「自分の世界」を構築することにより、主人公は生き延びることができたのです。

 

しかし、これはもちろん大きな問題があります。主人公に愛する恋人や妻ができたとしても、彼女は「自分の世界」に閉じこもる主人公に対して疎外感を感じます。そして、やがて「あなたは空っぽ」だと言って、主人公から去っていきます。村上春樹の小説では、恋人や妻が主人公を見限り去っていくテーマが繰り返し、繰り返し語られます。かけがえのなかった過去を喪失し、特殊な孤独を抱えた人間が、いかに現在の愛する人間とともに生きていけるかが、村上春樹の小説の大きなテーマでしたし、これは現在も変わりません。

 

この「デタッチメント」のテーマで小説を書いてきた村上春樹でしたが、1995年のオウム真理教地下鉄サリン事件に大きな衝撃を受け、小説のテーマを大きく変えます。

 

世の中には、世間や社会にどうしてもなじめない、適応できないという人間が一定数います。あるいは、過去の共同体にはなじめたが、進学や就職等により新しい共同体に入ったが新しい共同体にはなじめないという人も一定数います。そうした人間が皆、村上春樹の主人公のように「自分の世界」を構築して閉じこもれば、それはそれで害はないのですが、そうした「自分の世界」をつくって閉じこもることで満足な人間は、実際には少ないです。自分の世界を構築することによって孤独に耐えられる人間などほとんどいません。たいていの人は、「どこかに、自分がなじめる共同体があるはずだ」と新たな共同体を探し求めます。そこで、「正しい」共同体が見つけられればいいのですが、ここで「根源的な悪」の問題が浮上します。

例えば、邪悪なカルト宗教、排外主義・原理主義のテロ組織などの「悪意」の集積、「根源的な悪」の団体は、孤独で「新たな共同体」を求める人間の心理に付け込み、彼らを「セールストーク」します。そして、少なからぬ人間がその「セールストーク」を受けて、興味を持ち入団します。そうした団体に取り込まれた人間は、自分を失い、その団体と同化します。彼らは、そうした「根源的な悪」の団体と同化してしまうのです。そうして起こったのが、地下鉄サリン事件でした。

 

「根源的な悪」を行った人間は、最初はただ単に現在の共同体になじめず、孤独で自分がなじめる「新しい共同体」を求めた普通の人間に過ぎませんでした。そうした人間が「根源的な悪」に取り込まれ、悪をなしたのです。

これはいけません。孤独な彼らを「根源的な悪」に取り込ませてはいけないのです。村上春樹は、地下鉄サリン事件以降、孤独な人間が「根源的な悪」に取り込まれることがないように、「コミットメント」することを決意します。いわば、サリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライになることを決意したのです。

 

彼の「コミットメント」とは、孤独な状況に陥った人達が、根源的な悪に取り込まれないように小説の力を信じてコミットしていくということです。自分も年を取って丸くなったので社会や世間に関わっていくようにしようなどという一般論の意味では全くありません。

 

このため、後期の村上春樹作品は「根源的な悪」との対決が大きなテーマとなります。

 

次回のエントリーでは、村上春樹作品の中の「根源的な悪」について検討します。

 

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余談 その22 ポール・オースター「幽霊たち」を読む(ネタバレあり)

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*激しくネタバレしています。ご注意願います。ポール・オースター「幽霊たち」へのネタバレを含む言及があります。


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 だいぶ前になりますが、毎日新聞(2013421日 東京朝刊)(参照したのはWeb版)に鴻巣友季子氏の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の書評が掲載されています。この書評の中で、

「主人公を除き姓に色が入っており、アカ、アオ、シロ、クロと呼ばれるが、ミスター・ブルー、ミス・ホワイトなどとも書かれ、村上もよく知る米作家ポール・オースターの『幽霊たち』を即(ただ)ちに想起させる。二人連れで街を歩く恋人を目撃する場面など、下敷きにした部分もあるかもしれない。」

と、ポール・オースター「幽霊たち」との関連性を指摘する記述がありましたので、ちょっと興味がわいてポール・オースター「幽霊たち」(新潮文庫)を読んでみました。ポール・オースターの作品を読むのは、はじめてです。

 

「色彩を失った多崎つくると、彼の巡礼の年(以下「多崎つくる」)」との共通項は、もちろん姓に色がついているところです。また、ミステリー小説としても読める部分が似ているでしょうか。話の本筋には関連性はありません。しかし、村上春樹氏がこの作品を意識しているのは間違いなく、いくつか「多崎つくる」のヒントあるいはミスリードになっている記述があります。これは以下の点です。(ここから、「幽霊たち」のネタバレになりますので、ご注意願います。)

 

 第1に、ミスター・グレイとミスター・グリーンが同一人物であったというエピソードがあります。これは、灰田と緑川が同一人物であるという暗示になります。もっとも私の仮説では、これはミスリードの1つになりますが。(余談 その7 この小説の構造は?②~緑川の話、灰田、「オカルト」の扉)参照)

 

 第2に、引退した検屍官ゴールドが、25年前に少年が殺された事件を追っている雑誌記事があります。主人公のブルー(探偵)はこの雑誌記事を見ただけで、犯人は(ネタバレ反転)少年の親であることに思い当たります。「多崎つくる」の事件の犯人も(ネタバレ反転)シロの父親です。(もちろん、私の推理が正しければ、ですが。)

 

 第3に鴻巣友季子氏が指摘しているように、恋人が他の男の人と一緒に歩いているのを主人公が目撃するシーンがあります。このシーンで主人公が彼女に声を掛けたため、彼は彼女と破局します。

 多崎つくるは、沙羅が男の人と一緒にいるのを見かけたときに声は掛けませんでしたが、後にクロの忠告を無視して、男の人の話を沙羅にします。これは多崎つくると沙羅が破局することを暗示しています、という解釈もできますが、「幽霊たち」の話の本筋を考えると、そう単純な話なのかなと思います。まあ、「多崎つくる」と「幽霊たち」の話の本筋は関係がないので、話の筋は関係ないということかもしれませんが。

 

 さて、「幽霊たち」ですが、これはかなり謎めいた話です。

 私立探偵のブルーのもとに、ホワイトと名乗る男がやってきて、ブラックという男を監視してほしいという依頼をします。ホワイトは明らかに変装していて、ブルーはうさんくさく思いますが依頼を引き受けます。そこから、奇妙な話がはじまります。

 

 この小説をどのように解釈したらよいのでしょうか。以下に私の解釈を述べます。

(「幽霊たち」の核心的なネタバレになります。ご注意願います。)(下にスクロール願います。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まず、ブラック=ホワイトであることはガチです。これは謎ではありません。小説を読めば自然とわかります。問題は、ブラック=ホワイト=ブルーであるかです。そのように読めなくもありません。しかし、私はブラック=ホワイトとブルーは別人物であると考えます。理由は以下のとおりです。

 

 第1に、それでは単純に話がつまらないからです。ブラック=ホワイト=ブルーだとすると、全てブラックの自作自演の茶番劇となるか、ブルーの幻覚だったということになります。幻覚オチでは小説として最悪です。

 

 第2に、小説の最初にブルーに仕事を教えたブラウンの説明があります。(「そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。」)ほとんど出番のない(手紙でしか出てこない)ブラウンが登場することに一体何の意味があったのか?これは、ブルーという人物はブラックの幻想とかではなく、現実世界に存在する人物であることを証明するためです。このために、ブラウンという彼の師匠を出し、手紙も出したのだと思われます。

 

 ということで、ブラック=ホワイト(以下、単にブラックとします)とブルーは別人物であることを前提に解釈を進めます。

 

1.タイトルの「幽霊たち」とは作家のことです。文中に以下の会話があります。

「書くというのは孤独な作業だ。それは生活をおおいつくしてしまう。ある意味で、作家には自分の人生がないとも言える。そこにいるときでも、本当はそこにいないんだ。」「また幽霊ですね。」「その通り。」

 

2.作家であるブラックは、自分を主人公とする小説を書くことを考えます。しかし、自分のことは客観的に見ることが出来ません。そのため、探偵を雇って自分を監視してもらい、その監視の記録の報告書を送るように依頼し、その報告書をもとに小説を書くことを思いつきます。

しかし、自分を監視してほしいなどという依頼はうさんくさすぎて探偵は引き受けないかもしれません。このため、探偵のブルーに依頼をするときに、ブラックは変装してホワイトと名乗ります。そしてブラックの監視を依頼します。ブルーはホワイトが変装していることに気が付き、うさんくさく思いながらも依頼を引き受けます。

 

3.ここから、話がどんどん奇妙になっていきます。現実世界に小説世界が侵食してくるのです。やがて、ブラックもブルーも小説世界に閉じ込められることになります。

 

4.仕事でブラックを尾行したブルーはレストランで、ブラックが女性と(おそらく)別れ話をして、別れるところを目撃します。これは、ブラックが女性と別れることで、現実世界とのつながりを断ち、自らを小説世界に閉じ込めたことを示します。

 

5.数ヶ月後、ブラックの監視をさぼりマンハッタンへ行ったブルーは、恋人の「未来のミセス・ブルー」が男と一緒に歩いているのを目撃し、声をかけます。

このときの状況に至るまでの、経過を説明します。

ブルーがブラックの監視の仕事を引き受けた後、ブルーは未来のミセス・ブルーに連絡しますが、その後一切の連絡を断ち音信不通になります。仕事を引き受けた後、ブルーはブラックの近くのアパートに住み込んでいるので、自宅に行ってもいつも留守。待てど暮らせどブルーからの連絡はきません。そして、数ヶ月がたちます。彼女は、ブルーが事件に巻き込まれ死んだのではないか(ホーソーンの小説が暗示します。もっともブルーにはホーソーンの小説の幸せな結末は得られませんが。)、あるいは彼女を捨て、他の女と一緒に失踪したのではないか(ロバート・ミッチャムの映画が暗示します)と考えます。やがて彼女は、ブルーは死んだか、失踪したものと彼をあきらめます。そして、新しい恋人ができてマンハッタンに行ったら、元気なブルーがのこのこと現れて、彼女に声をかけたのです。

彼は死んだのではないかと彼女が思っていたところへ、ブルーは元気な姿で現れました。とするならば、もう1つの可能性、ブルーは彼女を捨て、他の女と一緒に失踪していたのに決まっている、と彼女は思います。彼女の視点からは、自分がブルーを裏切ったのではなく、ブルーが彼女を裏切ったのです。どの面下げて今更彼女の前に姿を現したのでしょう。彼女がブチ切れるのも当然です。

ブラックの監視の仕事を引き受けている間に、徐々にブルーは小説世界に取り込まれていったのです。そのため、現実世界の象徴である彼女と連絡がとれなくなっていたのです。(連絡をとる意思が欠如していったのです。)この間、ブルーは1度だけ彼女に電話をかけますが不幸にもつながりませんでした。思えばこれが最後のチャンスだったのでした。

未来のミセス・ブルーと破局したことによりブルーは現実世界とのつながりを断ち切られ、完全に小説世界に閉じ込められることになります。

 

自分が奇妙な状況に巻き込まれている、という自覚があるブルーは、この状況を打破すべく捜査を開始します。まず郵便局を見張り、報告書を取りに来る男を捕まえようとします。次に物乞いに変装し、あるいは保険の外交員のふりをしてブラックと接触します。この捜査を通じて、ブラック=ホワイトではないかとブルーは推理します。

 

7.自分の推理を裏付けるために、ブラシのセールスマンに変装して下見をした後、ブルーはブラックの留守にブラックの家に忍び込みます。そして、ブラック=ホワイトである証拠(彼がホワイトに送った報告書の束)を入手します。

 

8.忍び込んで真実を知った後、虚脱状態が続きますがその後、ブルーはブラックの元を訪れます。話し合うために。しかし、ブラックは拳銃を手に持って彼を出迎えます。ここで、ブラックがブルーを撃って殺してしまえば、ブルーは死に、完全に小説世界へ閉じ込められておしまいです。しかし、ブルーは彼の拳銃を叩き落とし、ブラックを叩きのめします。ブラックがその結果、死んだか生きているかはどうでもいいです。所詮、小説世界の話でしかありません。

 

9.ブルーはブラックの書いた原稿を読みます。そして全て(自分がブラックの小説世界に閉じ込められていたことを)を理解します。書かれている内容はもちろん、我々が読んでいる「幽霊たち」です。

 

10.そして、ブルーは小説世界から現実世界へ脱出します。その後ブルーがどこへ行ったかは重要ではありません。彼が現実世界へ脱出したことが重要なのです。

 

 この小説のテーマは「気が付く」ことと、「行動する」ことです。ブルーは、自分が奇妙な状況に巻き込まれていることに「気が付き」、そして、状況を打開すべく「行動」します。そのことによって、彼は、自分が小説世界に閉じ込められていることを理解し、現実世界へ脱出することに成功します。

 

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