「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。(感想・考察・謎解き)  (ネタバレあり)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)の謎解き。事件の真相・犯人を推理し、特定します。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 書評 ④~「デタッチメント」と「コミットメント」

(目次に戻る)(初めてこのブログに来られた方はまず目次をご覧ください。)  

 

*激しくネタバレしています。ご注意願います。

 

(前のページを見る。)

 

  以下の書評は、本ブログの本編と余談の推理を前提としています。初めてこのブログを読まれる方はできれば本編からご覧願います。(目次に戻る)

 

 村上春樹作品を解説するキーワードに「デタッチメント」(関わりのなさ)と「コミットメント」(関わること)の言葉がよく使われます。

 前期村上春樹作品では、主人公は、世間や社会と関わりのないように生きていきます。世間や社会がどうであろうと、僕は僕で生きていくさ、やれやれ、という感じです。こうした主人公のライフスタイルが「デタッチメント」というキーワードでくくられています。

 

しかし、これは主人公が好き好んでそうしているわけでもなく、ファッションでもありません。(書評②~主人公の孤独参照)で示したとおり、主人公は主人公の特殊な事情により、他者と感覚を共有できず、共有できないが故に孤独なのです。こうした事情により孤独な主人公が、世界の中で生き延びること。これは切実な問題です。主人公は生き延びるために、自分だけの世界をつくります。好きな音楽を聞き、好きな本を読み、自分だけのルールを作り、自分だけのライフスタイルを築きます。こうした、「自分の世界」を構築することにより、主人公は生き延びることができたのです。

 

しかし、これはもちろん大きな問題があります。主人公に愛する恋人や妻ができたとしても、彼女は「自分の世界」に閉じこもる主人公に対して疎外感を感じます。そして、やがて「あなたは空っぽ」だと言って、主人公から去っていきます。村上春樹の小説では、恋人や妻が主人公を見限り去っていくテーマが繰り返し、繰り返し語られます。かけがえのなかった過去を喪失し、特殊な孤独を抱えた人間が、いかに現在の愛する人間とともに生きていけるかが、村上春樹の小説の大きなテーマでしたし、これは現在も変わりません。

 

この「デタッチメント」のテーマで小説を書いてきた村上春樹でしたが、1995年のオウム真理教地下鉄サリン事件に大きな衝撃を受け、小説のテーマを大きく変えます。

 

世の中には、世間や社会にどうしてもなじめない、適応できないという人間が一定数います。あるいは、過去の共同体にはなじめたが、進学や就職等により新しい共同体に入ったが新しい共同体にはなじめないという人も一定数います。そうした人間が皆、村上春樹の主人公のように「自分の世界」を構築して閉じこもれば、それはそれで害はないのですが、そうした「自分の世界」をつくって閉じこもることで満足な人間は、実際には少ないです。自分の世界を構築することによって孤独に耐えられる人間などほとんどいません。たいていの人は、「どこかに、自分がなじめる共同体があるはずだ」と新たな共同体を探し求めます。そこで、「正しい」共同体が見つけられればいいのですが、ここで「根源的な悪」の問題が浮上します。

例えば、邪悪なカルト宗教、排外主義・原理主義のテロ組織などの「悪意」の集積、「根源的な悪」の団体は、孤独で「新たな共同体」を求める人間の心理に付け込み、彼らを「セールストーク」します。そして、少なからぬ人間がその「セールストーク」を受けて、興味を持ち入団します。そうした団体に取り込まれた人間は、自分を失い、その団体と同化します。彼らは、そうした「根源的な悪」の団体と同化してしまうのです。そうして起こったのが、地下鉄サリン事件でした。

 

「根源的な悪」を行った人間は、最初はただ単に現在の共同体になじめず、孤独で自分がなじめる「新しい共同体」を求めた普通の人間に過ぎませんでした。そうした人間が「根源的な悪」に取り込まれ、悪をなしたのです。

これはいけません。孤独な彼らを「根源的な悪」に取り込ませてはいけないのです。村上春樹は、地下鉄サリン事件以降、孤独な人間が「根源的な悪」に取り込まれることがないように、「コミットメント」することを決意します。いわば、サリンジャーキャッチャー・イン・ザ・ライになることを決意したのです。

 

彼の「コミットメント」とは、孤独な状況に陥った人達が、根源的な悪に取り込まれないように小説の力を信じてコミットしていくということです。自分も年を取って丸くなったので社会や世間に関わっていくようにしようなどという一般論の意味では全くありません。

 

このため、後期の村上春樹作品は「根源的な悪」との対決が大きなテーマとなります。

 

次回のエントリーでは、村上春樹作品の中の「根源的な悪」について検討します。

 

(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。)