「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 書評 ③~「過去」か、「現在」か
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*激しくネタバレしています。ご注意願います。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」「ノルウェイの森」「ダンス・ダンス・ダンス」「国境の南、太陽の西」への言及があります。
以下の書評は、本ブログの本編と余談の推理を前提としています。初めてこのブログを読まれる方はできれば本編からご覧願います。(目次に戻る)
村上春樹の作品では、「過去」を象徴するものと、「現在」を象徴するものが現れ、主人公がどちらかを選択することを迫られる場面があります。
(以下、念のためネタバレ反転)
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」では、主人公は「現在」の象徴である太った娘は選ばず、「過去」の象徴の図書館の少女を選びます。
「ノルウェイの森」では、「過去」の象徴である直子を失い、「現在」の象徴である緑を求めます。
「ダンス・ダンス・ダンス」では、「過去」の象徴である五反田君と訣別し、「現在」の象徴であるユミヨシさんと結ばれます。
「国境の南、太陽の西」では、「過去」の象徴である島本さんと再会して彼女を求めますが、彼女はどこかへ去り、彼は「現在」の象徴である妻(有紀子)に戻ります。(が、和解できたかまでは描かれていません。)
(以上ネタバレ反転終了)
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」ではどうでしょうか。この作品では、3人の主要な女性が現れます。
シロ(柚木)は「過去」の象徴ですが、死んでいます。死んだものは失われ、取り戻せません。
クロ(エリ)は、「ノルウェイの森」の緑の雰囲気があり、もしかしたら、主人公の「現在」の象徴になったかもしれません。しかしクロは、シロとともにつくるを陥れグループから追放した罪と、シロを見捨てて逃げ出した2つの罪を背負っています。多崎つくるは彼女を赦すことはできても、彼女と結ばれることはありません。クロは、顔を見ると自分の罪を思い出させるような相手(つくる)とは、一緒に暮らすことはできません。つくると彼女が結ばれることは過去にも現在にもありません。彼女もまた、「過去」の象徴です。
沙羅は「現在」の象徴のように見えます。しかし小説が終わった後に、水曜日が来て彼女が全ての真相をつくるに話した時、つくるは彼女が「現在」の象徴ではなく「過去からの声」であることを理解します。その時、つくるが彼女を赦すのか、断罪するのか、彼女と別れることを選ぶのか、彼女と結ばれることを望むのか、全て読者(プレイヤー)の判断に委ねられています。
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