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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。(感想・考察・謎解き)  (ネタバレあり)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)の謎解き。事件の真相・犯人を推理し、特定します。

余談 その8 この小説の構造は?③~多義的な解釈と一義的な解釈

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*激しくネタバレしています。ご注意願います。(村上春樹ノルウェイの森」への言及があります。)

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 村上春樹の小説においては、一部を除き「ファンタジー的な展開」と「メタファーの多用」が目立ちます。こうした手法をとることにより、物語に対して読者が自由に多義的に解釈できるようにしているのです。

 なぜ、彼がこのような手法を多用するかというと、これは「ノルウェイの森」に出てくるキズキと直子の死が深く影響していると思われます。直接出てこなくても村上春樹の作品には、キズキや直子を思わせるキャラクターが何度も出てきます。特に前期「村上春樹作品」は、キズキまたは直子の死が重い問題として作品に色濃く反映しています。

 なぜ、キズキと直子は自殺したのか?この理由について、作者は明確に述べていません。答えらしいものが小説でも書かれることもありますが、明確に断定的には述べられていません。これは、はぐらかしているのではなく、作者本人にも明確には分からないからだと思われます。明確な言葉で断定してしまうと、どうも違うような感じがするものなのです。もともと死の理由が一義的にこれだと断定できるものではなく、多義的なものだと思われるからです。

このように、必ずしも一義的に物事を語れない事というものはあります。このため作者は、これまで物語の意味や理由を一義的に断定することを避け、メタファーやファンタジーを多用して多義的に解釈できるような手法を多く使ってきました。

 しかし、今回の小説は「殺人事件」です。「殺人事件」に多義的な解釈はありえないのです。どこかに現実の犯人が一義的にいるはずなのです。ここで多義的な解釈を持ち出すのは、犯人、「根源的な悪」を見過ごし、逃してしまうことになります。

 5月6日の講演(http://sonhakuhu23.hatenablog.com/entry/2013/05/09/073531参照)で村上春樹氏は、この小説を「文学的な後退」とみなされるかもしれないが「新しい試み」だとしました。これまで村上春樹はメタファーやファンタジーを多用して多義的に解釈できるような手法が評価されており、これが村上春樹の魅力であると思っている読者も多いでしょう。今回の小説で一義的な解釈しか許されない「推理小説」の手法を使うことに対して、従来の村上春樹の魅力を損なう「文学的な後退」であるとみなす読者や評論家もいるかもしれません。しかし、村上春樹はそのように評価されるリスクを負って「新しい試み」に挑戦したのだと思われます。

(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。)