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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。(感想・考察・謎解き)  (ネタバレあり)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)の謎解き。事件の真相・犯人を推理し、特定します。

余談 その10 面白いAmazonレビューがありました。

(目次に戻る)(初めてこのブログに来られた方はまず目次をご覧ください。) 


*激しくネタバレしています。ご注意願います。

 

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 amazon面白いレビューがありました。アマゾンで「最も参考になったカスタマーレビュー」、ドリーさんの「孤独なサラリーマンのイカ臭い妄想小説」です。なんと、19,237人もの人が参考になった。としています。まずは、以下のレビューをご覧ください。

 

アマゾン レビュー欄を読む。 

 

 このレビューは、長年村上春樹に浴びせ続けられている極めてオーソドックスな批判(罵倒?)です。オーソドックス過ぎてもはや「テンプレ」ですが、面白いと言ったのは、なぜ、このような「テンプレ」な批判が今これだけ支持を集めるのか?ということです。

 

 かつては村上春樹の作品は新作を出すたびに、ボロクソに批評家等に批判され、けなされて続けてきました。しかも、なんつーか批判というよりは、感情的な罵倒みたいのが多いんですね。その批判(罵倒)はたいてい読者にまで及んで「こんなの読んでいる奴はバカだ」みたいな話にまでなる。そんなに嫌なら読まなきゃいいのに、まあ彼らも商売だから嫌なものも読まなきゃいけんのか、大変だなあ、という感じでした。あとは、1つのファッションでもあったのですね。「村上春樹をけなす俺、カッコいい(文学的に高尚だ)」みたいな。

 

 しかし、ある時期から主要メディアからはこうした批判は下火になってきます。それは、村上春樹が海外で評価され、海外の文学賞を受賞しはじめた頃からです。日本人は海外の評価とか賞とかに弱いですからね。下手に批判(罵倒)すると、「海外で高く評価されているのを批判するなんて、批判しているお前の方が作品を理解できていないアホだ」と言われかねない。このため、実名を出すような評論家からはあからさまな批判のボルテージは下がり、やたら難しい概念で評価するとか、批判するにしてもなんか奥歯に物が挟まったような、はっきりしないようなものが増えました。

 

しかし、こうした批評は一部(大部分?)の読者の納得を得られません。だって、たいていの人には村上春樹の作品はつまらないからです。なんか評判になっているらしいから買っちまったが、読んで後悔している、読んだ時間と金返せと思っている人もいる(多い?)。レビューというものは「あー、自分もそう思っていたんだ」と共感を得るためのものでもあります。主要メディアから、あからさまに村上春樹はつまらんと言う批評が少なくなった今、そうした読者の納得と共感を得られるレビューはネットにあります。それこそがドリーさんのアマゾンレビューです。

 

以下、個別にみていきます。まとめるとこんな感じですか(いいかげんすぎ?)。

1.「村上春樹の小説は『妄想』である。」

2.「村上春樹の登場人物、ウザい。特にアカ。」

3.「主人公は『ぼっち』だ。『ぼっち』のくせに、彼女がいるとは生意気だ!」

4.「主人公、モテないだろ?」

 

1.「村上春樹の小説は『妄想』である。」

 いや、小説なんだから妄想なの当たり前だろ、ドキュメンタリーじゃないんだから、といったことではなくて、こう批判する人は、要は「リアリティがない」と言いたいのだと思います。まあ、そのとおりかと思います。あまり村上春樹作品に「リアリティ」を求めても無駄かな、「リアリティ」を求めるなら他の作家の作品を読んだ方がいいのではないかな、と思いますね。

ただ、村上春樹の小説は「妄想」なのですが、これはやむにやまれる事情があります。多くの村上春樹作品のテーマは「死者との邂逅」です。「死者」とはリアルには邂逅できませんから、そこは「妄想」の力に頼るしかないのです。だから「妄想」は村上春樹作品にとって重要な要素なんですね。

 

2.「村上春樹の登場人物、ウザい。特にアカ。」

 村上春樹の登場人物は、ともかくウザいです。現実世界にこんな芝居がかった言い回しや、気の利いた(?)警句を日常的に口にする人間はいません。

 ただ、欧米(特にアメリカ)の小説ってたいていこんな感じです。登場人物が不自然なほど芝居がかった言動をしたり、警句めいた言葉を吐いたりする。現実世界の欧米の人がそんな言動をしているとは思えません(私の数少ない海外の友人はそうではありません)ので、欧米の読者は、小説の中の登場人物はそういうもんだと思って、小説内のお約束として読んでいるのではないかと思います。村上春樹の作品は、アメリカ文学の影響を大きく受けていることが昔から指摘されていますし、海外の読者も増えているので、ここ最近の作品は更に海外の読者を意識した書き方をしているのかなと思います。

 

 特にウザいのはアカですが、この小説内ではアカは「道化」のキャラクターを割り振られているので、もちろんわざとウザく書いているのです。ただでさえウザい村上春樹の登場人物を、作者が意識的にウザく書けば、ウザさ百倍でしょう。

 

3.「主人公は『ぼっち』だ。『ぼっち』のくせに、彼女がいるとは生意気だ!」

 村上春樹の主人公は「ぼっち」です。「ぼっち」という言葉が生まれる前から「世間」や「空気」から孤立した、孤独な主人公を書くのが村上春樹でした。村上春樹作品を「引きこもり系」と評したのは斎藤環氏でしたっけ。ただ、主人公が孤独だという設定の話をすると長くなるので別のエントリーで書くとして、「『ぼっち』のくせに、彼女がいるとは生意気だ!」の方を見ていきましょう。

 これは村上春樹的「ご都合主義」です。村上春樹の主人公は「ラノベ」や「ラブコメ」の主人公だと思えばいいでしょう(「ラノベ」「ラブコメ」は少年向けですので、セックスまで持ち込めませんが、村上春樹は「大人向け」なのです)。まあ、女の子が主人公に近づいてくるのは、本当はそれなりに色々理由がある(小説によって違う)のですが。

 平坂読僕は友達が少ない」(メディアファクトリー)という「ラノベ」があります。(実は読んだことないです。ただ、amazonとか見ると典型的かなと思ったので紹介します。)主人公はタイトルどおり友達が少ない(とういか、いない?)です。しかし、なぜか知りませんが、わらわらと可愛い女の子達が近づいてきてハーレム状態になります。そして、これを読んだ読者が「そんなん、『友達が少ない』と違うわ!」「そんなんだったら友達少なくて構わんわ!」とツッコミを入れる作品だと思われます(え、違う?wikiを見ると確かにそんな単純な話でもないかもしれませんが)。村上春樹の主人公もそんな感じです(え、全然違う?)。

 

 ちなみに、村上春樹が「ラノベっぽい」という批評を最近よく聞きます。書いている人達もわかってて書いているのだと思いますが、村上春樹が「ラノベっぽい」のではなくて、「ラノベ」の作者が村上春樹の影響を受けているのです。もっとも現在のラノベ作者は、村上春樹から影響を直接受けた人よりも、村上春樹のフォロワーから影響を受けた人の方が多いと思われますので、自分が村上春樹のフォロワーのフォロワーだという意識はない人が多いかと思われますが。

 

4.「主人公、モテないだろ?」

 主人公(多崎つくる)モテなさそうですね(まあ、イケメン設定ですので初対面ではいいのかもしれませんが)。特に最初の恵比寿のバーでの沙羅との会話は、「なんじゃらほい」て感じです。(ちなみに「○○のことはよく知らない」というのは、R・チャンドラー「長いお別れ(ロング・グッドバイ)」(早川書房)のフィリップ・マーロウのパロディだと思われます。そういえば、村上春樹も翻訳していますね。「そんな古い小説のパロディなんて分かるか!」というツッコミはもっともですし、現実世界にフィリップ・マーロウの真似をする人がいたら、その人は100%モテません。

 しかし、「主人公、モテないだろ?」はこの小説では、実は大きな意味があります。沙羅は目的があって多崎つくるに近づいているのですから、多崎つくるがモテようがモテなかろうが目的を果たすまでは多崎つくるから離れません。ということで、「主人公、モテないだろ?」は「沙羅は、多崎つくるに目的があって近づいたのであって、決してつくるがモテ男だったからではない!」という伏線になっている訳です。ドリーさん鋭いツッコミです(「ドリーさんにアドヴァンテージ!」)。

 えーと、上記は冗談で書いているわけではありません。次回のエントリーでは詳細について検討します。

(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。)