「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 書評 ⑤~「根源的な悪」
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*激しくネタバレしています。ご注意願います。「ねじまき鳥クロニクル」「スプートニクの恋人」「海辺のカフカ」「アフターダーク」「1Q84」への言及があります。
後期村上春樹作品では、「根源的な悪」が大きなテーマとなります。(以下ネタバレ反転します。)
例えば、「ねじまき鳥クロニクル」では、主人公は「根源的な悪」と対決して相手を倒し、「根源的な悪」によって「ねじをゆるめられた」妻を取り戻そうとします。
また、「ねじまき鳥クロニクル」においては、「根源的な悪」についての歴史的な考察がなされます。
「スプートニクの恋人」は少し異色な作品で、 「根源的な悪」によって損なわれ魂の半身を失ったミュウの、その損なわれた半身を取り戻すために異界に行くすみれの冒険が裏のストーリーとして存在するはずですが、その物語は語られず、すみれを待つ「ぼく」の話になっています。
かなり中途半端な物語ですが、これは当初、作者が「『ノルウェイの森』でレイコさんを破滅させた女の子」を「根源的な悪」として登場させるストーリーにしようと思ったのが、構想を進めていくうちに「どうもこの女の子は『根源的な悪』ではない」ということに気が付いてストーリーの変更を余儀なくされたためではないかと考えます。「スプートニクの恋人」については、他のブログ(作成予定)で語ることにします。
「海辺のカフカ」は、 「根源的な悪」である父親から、「お前もいずれ『根源的な悪』になる」という呪いをかけられた少年の話です。少年は、この呪いから逃れるために旅に出ます。いかに少年が呪いを打破するかが、この物語のテーマになります。
「アフターダーク」では、主人公2人は「根源的な悪」である白川とは直接は接触せず、すんでの所ですれ違い続けます。これは夜の闇の中ではいつ偶然に「根源的な悪」と遭遇してしまうか分からないという恐怖を描いています。いずれ主人公2人はマリの姉エリを取り戻すために「根源的な悪」と対決しなければいけませんが、昼の光の中では夜の闇は力を持たず、戦える余地はあります。
「1Q84」は、村上春樹が「根源的な悪」を描くきっかけになったオウム真理教をモチーフにした作品です。「根源的な悪」により、世界そのものが歪まされ、主人公2人は2つの月のある世界に迷い込みます。この歪んだ世界からいかに脱出し、世界を回復させるかがこの物語のテーマになります。
また、「1Q84」では、「リトルピープル」という概念が登場します。これは、現代の「根源的な悪」は、ジョージ・オーウェルが「1984年」で描いた「ビッグブラザー」(独裁者)のような形で出現するのではなく、「リトルピープル」(無名の人間達による、無数の悪意の集積)の形で出現するのではないかという考察です。
そして「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」では、「根源的な悪」は影に潜み、表に出てきません。主人公を含むグループのメンバーは身近に「根源的な悪」がいるにも関わらず、そしてメンバーの1人を決定的に損なっているにも関わらず、「根源的な悪」に気が付けません。
「『根源的な悪』の存在に気が付けない」というのが、この物語の隠されたテーマです。
この物語に出てくる「根源的な悪」は巧妙に身を隠し、登場人物達はその存在にすら気が付きません。身近に存在する「根源的な悪」に気が付けない恐怖をこの物語は描いています。
この物語に出てくる「根源的な悪」は、国際的なテロ組織のリーダーや邪悪なカルト宗教の教祖のような、ある意味巨大なわかりやすい形をとっていません。いわば「卑小」な「根源的な悪」です。しかし、「卑小」なのは対象とする人間の規模の話であって、「根源的な悪」によって損なわれる人間にとっては、危険性やダメージの大きさは変わりません。
そして一般の人間にとっては、こうした「卑小」な「根源的な悪」の方が身近にいて遭遇する確率が高いのです。彼らは巧妙にその存在を隠しています。
我々は、こうした「卑小」な「根源的な悪」によって人間が損なわれないように、まず「根源的な悪」の存在に気が付かなくてはいけません。それがたとえ困難なことであっても、気が付くことができなければ、「根源的な悪」が人間を損なうことを防ぐことができません。
また、この物語では「悪霊がとりついた人間」という新しい概念が登場します。(11.「悪霊」とは何か?参照)
次回のエントリーでは「悪霊がとりついた人間」について検討します。
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