余談 その3 なぜ今回、村上春樹は「推理小説」を書いたのか?(妄想あり)
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* 激しくネタバレしています。ご注意願います。(「ノルウェイの森」への若干の言及があります。)
第2には、以下のことが考えられます。
(以下妄想開始)
村上春樹は、常々、いつかドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」のような「総合小説」を書きたいと言っています。私から見ると(異論がある人も多いかも知れませんが)「カラマーゾフの兄弟」は「推理小説」です。来(きた)るべき村上春樹版「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキーとテーマは異なるかと思いますが)を書くためには、自分は「推理小説」の技法を身につける必要がある、と思って村上春樹は今回の小説に「推理小説」の技法を取り入れてみたのではないでしょうか?
(以上妄想終了です。)
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余談 その2 多崎つくるが抱いた「微かな異物感」の正体は?
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(コメント欄に「羊をめぐる冒険」の ネタバレがあります。ご注意願います。)
このエントリーは、必ずこのブログの本編(「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。①~⑭)をご覧になってからお読みください。(目次に戻る)
アカに会った後、多崎つくるは沙羅に電話して、留守番電話に伝言を残します。翌日、沙羅から電話がかかってきて、明後日の夜に会って話をする約束をします。この電話の後、つくるは、沙羅と話をする前には感じなかった、胸に微かな異物感が残っていることに気が付きます。
多崎つくるが抱いた「微かな異物感」の正体は何だったのでしょう?
初めてこの文章を読んだときにはさっぱりわかりませんでした。多崎つくると一緒になってページを読み返してみたけどわかりません。
ここでは小説を読み直して、改めて考えてみた仮説を書いてみます。この仮説が本当に正しいかは、確証がないためわかりません。
小説を読み直して考えたのですが、彼女が予定表を調べる時間に「15秒」ってかなり長くないですか?彼女みたいにスケジュール管理をしっかりしていそうな人は、あさっての予定などノータイムで答えられるのではないでしょうか?もちろん現実世界では、スケジュールを書いた手帳が手元になくて探して時間がかかったということもありうる訳ですが、小説世界では、主人公が「微かな異物感」を抱く以上、そこに何か「おかしな事」があるはずです。この短い記述の中で、「おかしな」記述はこれぐらいしか思いつかないのですね。
なぜ、時間がかかったのか?ここからは仮説なのですが、彼女の側に誰かいて彼女は彼と(多崎つくるには分からないように)相談していて時間がかかったのではないでしょうか?では、彼女の側にいて相談されていた人物とは誰か?会社の上司とスケジュールの調整をしていた?いえいえ、小説世界においてはそんな物語の本筋とは関係のないような展開はいたしません。(そんな話なら、つくるに分からないようにする必要もありませんし。)主人公に「微かな異物感」が残る以上、そこには物語の本筋に大きく関わる伏線があるはずです。
物語の本筋に大きく関わりがある、沙羅の側にいて相談されるような人物はこの物語では1人しかいません。もちろん、「青山で彼女と一緒に歩いていた男性」です。男性の正体については(22.沙羅と一緒に歩いていた男性は誰?)で書きました。(ただし、本編を未読の方は、なるべく本編全体をご覧願います。)
沙羅が男と相談していたとすると、多崎つくるの巡礼の旅の「意味」は大きく変わってきます。もともと、彼の巡礼の旅は沙羅によって仕組まれたものだったわけですが、沙羅が男と相談してこの巡礼の旅をプロデュースしているのだとしたら、彼の巡礼の旅は「沙羅と男によって仕組まれたもの」だったことになります。正直にいって、小説では語られなかった予想されるラストはかなり怖いものになると思います。
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余談 その1 「良いニュースと悪いニュースがある。」の話の意味は?(平成25年5月3日追記あり)
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ここからは余談です。
アカがつくるに話した、本の帯にも使われている「良いニュースと悪いニュースがある。」の話ですが、これにはどんな意味があるのでしょうか?
まず、話の内容自体の意味ですが、これは典型的な詐術です。手の指の爪をはがされるのも、足の指の爪をはがされるのも、どちらも悪い選択枝でしょう?
しかし、どちらも悪条件でしかない2択の選択枝を突きつけられ、変更はきかない、どちらか選べ、選ぶ自由は君にあるなどと言われてしまうと、相手は、まるでどちらかを選択しなくてはいけないような気分になってしまいます。また、君に選ぶ自由はあるようなことを言われると、自分はなにか自由を手にしているかのような気分にすらなります。本当はこんなのは自由とは呼べません。2択のどちらを選んでも悪い結末なのです。
しかし、2択であれ自分には選択権があるのだと勘違いしてしまうと、聞かされた相手は、どちらかがよりマシな選択枝であるかのような錯覚に陥ってしまうのです。そして、悪い選択枝を自ら選んでしまう。どちらを選んでも悪い選択枝なのだから当たり前です。
この詐術は、時間制限をつけて(「10秒のうちに決めてもらいたい。」)相手に落ち着いて考える暇を与えないと効果がより高まります。
さらに一番初めに話す「良いニュースと悪いニュースがある。」という言い回しも詐術の一つです。「良い」「悪い」などという言葉を先に使って相手に印象づけると、相手はその後、言われた選択枝のどちらかが「良い」選択枝で、どちらかが「悪い」選択枝であるかのような連想をしてしまうのです。
以上、典型的な詐術テクニックでした。皆様もお気をつけください。
この話は物語に何か関係しているのでしょうか?実は、この話は物語の何かを暗示しているのだと思われます。ここから更なるネタバレになります。
エントリー本編をまだお読みでない方は、エントリー本編を最初(1.「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」は推理小説である。)から(27.2人の結末は?③)まで順番に読んでいただくか、最初から読むのが面倒くさい場合は、(15.シロを殺したのは誰か?)あたりから27.まで順番に読むかどちらかをご選択ください。(「良いニュースがあります。あなたにはどちらかを選ぶ自由があります。」)
エントリー本編を読み終わられた方、既読の方は、下へスクロールしてください。
実は、この話は多崎つくると沙羅の未来を暗示しているのだと思われます。クロの忠告を守って男の人の話をしないようにしても、忠告を破って男の人の話をしても、どちらを選択しても良くない結末が待っているということです。
クロの忠告を破って男の話をした場合、2人は破局することが(忠告を無視したということ自体によって)暗示されています。では、クロの忠告を守って男の人の話をしなかったとしても結末は、(26.二人の結末は?②~クロの忠告を守ったときのシミュレーション)のようになります。どちらを選んでも悪い結末なのです。
しかし、選択枝のどちらを選んでも悪い結末であっても、多崎つくる君は選択枝のどちらかを選ぶ自由は持っているのです。ん?これは良いニュースなの?
(平成25年5月3日追記)
あるいは、以下の解釈も可能です。
このエピソードで、セミナーの受講生は自分の自由な意思により選択をして行動しているように錯覚させられていますが、実際には講師のアカによってその意思と行動は誘導されているのです。
それと同じで、この小説の主人公多崎つくるは彼の巡礼において、自分の自由な意思で選択をして行動をしていると自分は思っていますが、実際には沙羅によってその意思と行動は誘導されているのであることをこの話は示しているのです。
上記の解釈もアリかと思いますが、この解釈はちょっとシンプル過ぎて面白みがないかなとも思います。
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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。 おまけ
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また、以下のおまけを読む前に必ず本ブログの本編をご覧ください。(目次のページをご覧ください。)
以下はおまけです。
ここまで進めてきた推理をもとに、最後につくるが真犯人と直接対決するバージョンの想定Another Endを書いてみました。興味ある人はご覧ください。文体は似せる能力ありませんので、無理に似せていません。ご容赦ください。
1.Another End
そして、水曜日が来た。
多崎つくるは、沙羅が予約したという青山のイタリアンレストランへ向かった。
青山か、とつくるは思った。
レストランのウェイターに個室へ通されたつくるは、そこに沙羅ではなく1人の男がいるのを見た。男はつくるに背を向けていたが、振り返ってこう言った。
「やあ、多崎つくる君だね。待っていたよ。」
男は、この前沙羅と一緒に歩いていた男だった。
「沙羅は?」とつくるは聞いた。
「沙羅はここには来ない。」と男は質問を許さない威圧的な声ではっきりと言った。
「沙羅はここには来ない。」とつくるは乾いた声で繰り返した。
男は握手を求めて右手をつくるに差し出したが、つくるは無視した。
「お久しぶりです。」つくるは言った。
おれの声は震えていないだろうか、とつくるは思った。
「あなたは、白根柚木の父親ですね。」
おや、という顔で男は目を細めた。その仕草が誰かに似ている、とつくるは思った。
しかし、たいして驚いてもいないような声で男は言った。
「随分久しぶりなのによく覚えているね。私はあまり家にいることも少なかったし、ほとんど君達と顔を合わせる機会もなかったのにね。最後に君と顔を合わせたのは何年前になるか・・・。」
「16年です。」とつくるは言った。
16年前の5月、グループが最後に集まったときに、確かに多崎つくるはこの男と会ったのだ。あのときのシロ、いやユズの表情はどうだったのだろう。あの時、おれは気が付くべきだったのだ。なぜ、気が付かなかったのだろう。なぜ、気付いてやることができなかったのだろう。
「それは君が馬鹿だからだよ」とクロに言われたような気がした。
「私は、あなたのことをよく覚えています。」とつくるは言った。正確には思い出した、だが。
「君はあの頃から随分変わったようにみえる。」
「はい、私は」おれは、「変わりました。」
死に近づいたこと、16年の歳月、そして彼の巡礼の年は、彼を根本から組み替えてしまっていた。
多崎つくるは、男の目を見据えてはっきりとこう言った。
「あなたがユズを殺したんですね。」
(End)
2.Another Endの考察
(*「ねじまき鳥クロニクル」への言及が若干あります。)
自分で書いて考察も何もないのですが、このラストは残念ながら「ないな」と思います。つくる君のキャラが全然違います。今まで、探偵失格の鈍感キャラだったつくる君が最後だけ名探偵キャラになって犯人をあててしまうのは非常にご都合主義で、このようなラストは読者の納得を得られないでしょう。探偵失格だった多崎つくるが「名探偵」に成長するには、成長するだけのストーリー(巡礼)が必要になります。そうすると、この物語は非常に長いものになってしまうでしょう。具体的には物語は以下のプロットに変更されると考えられます。(以下を読む前に、「26.二人の結末は?②~クロの忠告を守ったときのシミュレーション(ここ)」をご覧ください。)
(1) クロの忠告を受け、多崎つくるは男の人の話を沙羅にしない。
(2) 数ヵ月後、沙羅が突然失踪する。
(3) 深く絶望した多崎つくるは、再び生死の境をさまよう。
(4) 絶望の中で「沙羅は柚木の姉だったのかもしれない」ということに思い当たる。
(5) 沙羅の行方を捜すため、また柚木の死の真相を探るため、再び多崎つくるは巡礼の旅にでる。(柚木と沙羅に関係ありそうな場所をいくつも巡る旅になると考えられます。)「探偵」多崎つくるの誕生である。
(6) 長い巡礼の末、「探偵」多崎つくるは事件の真相と犯人を突き止める。
(7) 多崎つくるは犯人と対決する。
上記のプロットですが、これって考えてみるとほとんど「ねじまき鳥クロニクル」の焼き直しになってしまうんですね。村上春樹としては昔の作品と似たようなストーリーを長々と書く気が起こらなかっただろうし、「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は今ぐらいの長さがちょうどいい、これ以上書くのは蛇足だと思ったのでしょう。
ということでAnother Endの展開は残念ながらなく、想定される最終章は「沙羅による真相の告白」なのでしょう。真相の告白の後、多崎つくると犯人の対決もあるのかもしれませんが、当初想定していた物語の範囲では沙羅による真相の告白で終わる話なのかな、と思います。
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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。⑭
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*激しくネタバレしています。ご注意願います。村上春樹の他の著作(「ノルウェイの森」)への言及もあります。
今回で最後です。
28.なぜ、村上春樹は結論を書かない?
29.「ノルウェイの森」のレイコさんを破滅させたあの女の子は一体何だったのか?
30.終わりに~「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。
28.なぜ、村上春樹は結論を書かない?
第1に村上春樹はもともと結末をすっきり書くような作家ではないからです。これは一般的な理由。この小説では、もう2つ理由があると思われます。
第2にこの小説のテーマは3.(ここ参照)で書いたように「レイコさんを破滅させたあの女の子は一体何だったのか?」です。この問題を村上春樹は長い年月を重ね考えやっと結論を出しました。その結論を読者が数時間で消費しちゃうのは、あまりにも、何というかひどいと思ったのでしょう。村上春樹としては「読者もちょっとは考えてみてね。」というつもりなのかも知れません。
第3に沙羅の「告白」(24.参照)のエピソードを入れてしまうと、この小説の最後は生々しく凄惨なものになるでしょう。多崎つくるは再び絶望の底へ突き落とされます。また、2人はおそらく破局します。(クロの忠告を破ったことで暗示されています。)こんな夢も希望もない結末を見せられても読者は後味悪いでしょう。世の中には後味の悪い小説を書くことを売りにしている作家もいますが、村上春樹はそうした作家ではありません。読者の読後感を最悪にしないため、あえて最後のエピソードを村上春樹は削ったと思われます。
29.「ノルウェイの森」のレイコさんを破滅させたあの女の子は一体何だったのか?
彼女には「悪霊」がとりついていたのです。つまり性的虐待は実際にあったのです。告発した相手をレイコさんにしただけです。(直接レイコさんを告発した事件が狂言なのか、実際に何か事件があったのを加害者役を変えて再現したものかどうかは分かりません。「ノルウェイの森」では狂言にしか見えませんが、原話はどうなっているのか分からない以上コメントは保留します。ここで言いたいのは背景に本当に性的虐待はあり、虐待する人間が実在したということです。)「根源的な悪」は彼女ではなく別にいます。それは彼女の両親のどちらかです。見知らぬ変質者に突発的に性的暴行を受けた訳ではありません。日常的に彼女は性的虐待を受けていたのです。そうでなければあんなテクニックを身につけているわけがありません。
なぜ、彼女は告発の対象をレイコさんにしたのか?彼女は別に親のことをレイコさんに告発して欲しかったのではなく、自分が日常的に受けている性的な虐待を何か意味のある価値のあるものと思いたかったのだと思います。それで、好きなレイコさんにそれを行うことで、その意味や価値を認めて欲しかった。ところが、それを拒絶され、恨みに思って悪意に変わったのです。「この子も犠牲者の一人なんだってね。」とレイコさんは言いました。レイコさんの言っている意味とは違うと思いますが、まさに彼女は犠牲者なのです。
この項を書くにあたり「ノルウェイの森」を読み直しましたが上記の解釈は得られませんでした。これは当たり前です。話を聞いた時点での村上春樹は「ノルウェイの森」では彼女を「根源的な悪あるいは病」に近いものとして解釈し、その解釈に沿って描写しています。今回の小説で解釈は改められたのです。
村上春樹が解釈を改めたと思われる根拠はシロが狂言ではなく、本当にレイプされ妊娠した描写によるものです。彼は女の子の背景にも本当の暴力と本当の犯人が存在したことに思い当ったのです。
30.終わりに~「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。
村上春樹の作風を知る読者の方の中にはこの小説が推理小説であることを否定し、「どうせ、犯人は出す気ないんでしょ」「シロは理不尽な暴力のメタファーに殺されたんでしょ」と思う方もいらっしゃるかと思います。彼の他の小説の謎解きをしたことがないので、他の小説のことは分かりませんが、この小説に限っては違います。なぜなら、この小説は長年真実から目を背けてきた多崎つくるが、人生の半ばを迎えるにあたって真実を求めて巡礼に旅立ち答えを得る小説だからです。読者の我々も真実を求めれば答えは与えられるはず、です。またこの小説が「リアリズム小説」であることも忘れてはいけません。
ここまでの推理が正しいとは限りません。多くの部分を想像(妄想?)で補っています。もっと正しい解があるのかもしれません。皆様も推理していただければと思います。
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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。⑬
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26.二人の結末は?②~クロの忠告を守ったときのシミュレーション
27.二人の結末は?③
26.二人の結末は?②~クロの忠告を守ったときのシミュレーション
沙羅は、多崎つくるが巡礼によって自ら真実をつかむことを望んでいたと思われます。彼が真実をつかんでおらず、つくるが何も聞いてもいないのに、沙羅からいきなり告白してもその告白は彼女の嘘と自己弁護にまみれたものになってしまうでしょう。できれば多崎つくるが自ら真実をつかみ、自分の視点で事件を把握してもらう必要がありました。
沙羅はそのために、スペシャルヒントまで用意します。青山につくるが行ったときに沙羅が父親(22.沙羅と一緒に歩いていた男性は誰?参照)(未読でしたら以下を読む前に必ずご覧願います。)といちゃいちゃして、多崎つくるの目の前を通り過ぎたのはわざとです。鈍感つくる君じゃあるいまいし、目の前を通り過ぎてつくる君に気づかない訳がありません。彼女はこの行為で真犯人をつくる君に紹介したのです。そして彼に関心を持つように誘導したのです。
もし、このヒントに多崎つくる君が、持ち前の選択的鈍感を発揮してスルーした場合はどうなるか?彼女はしばらく他のヒントをそれとなくいくつか出してみるでしょう。しかし、クロへの巡礼でこの巡礼の旅は終わったと思っているつくる君は他のヒントもおそらくスルーします。本当は、巡礼は終わっていないのです。クロへの巡礼で多崎つくるは、シロは狂言ではなく本当にレイプされたことを知り、またフィンランドへ行く前にシロが殺された状況について調べました。この次に多崎つくるが目指すべき巡礼は、彼女をレイプし、殺した犯人を突き止め、犯人と対決することなのです。ところが、つくる君はクロへの巡礼で全て謎は解けたと思い、巡礼の旅を途中で終えようとしています。「男の人」に多崎つくるが関心を持つことによりこの巡礼の途中放棄は(沙羅によって)軌道修正されますが、多崎つくるが「男の人」をスルーした場合は、巡礼は途中放棄されます。
真実を追求しようとしない(つまり以前と変わらない)多崎つくる君を見て沙羅は失望します。この人は私を断罪してくれる人ではない、と。そして彼から離れることを決めます。それでも数ヶ月は表面的には現状と変わらない付き合いが平穏に続くのでしょう。しかし、沙羅は準備をして、ある日忽然と彼の前から姿を消します。灰田のように。ある日突然、全ての痕跡を消して自分の前から沙羅が消えたことを知り、つくるは愕然とします。また1人、なんの理由も知らせず自分の前から大切な人が消えてしまったことに彼は深く絶望するでしょう。本当は、ヒントは何度も何度も多崎つくるに提示されていたのに。真実から目を背け現状維持に逃げる多崎つくるへの罰です。そうやって、今後も多崎つくるは失い続ける人生を続けるのでしょう。
27.二人の結末は?③
今まで、人間関係の綻びの前兆が見えても選択的鈍感を発揮して、真実から目を背けるのが多崎つくるの人生でした。その行為によってしばらくは現状は維持されますが、根本的な問題が解決していない以上、やがては崩壊するのです。しかし、今回多崎つくるは真実を求めれば二人の仲が破局する可能性を理解しつつ、あえて真実を求める道を選びました。これが、彼が巡礼によって得た「成長」なのです。この行為によって2人の仲が破局しようと、真実から目を背ける人生を選ぶことは、今後も多崎つくるが大切な人間を失い続け、自分を損ない続ける人生を選択することになるのです。
彼が「男の人」の話をしたことで否応がなく、彼は「根源的な悪」である「男の人」と直接対決しなければいければいけないでしょう。水曜日が来たとき、彼の前に現れるのはもしかしたら沙羅ではなく「根源的な悪」である「彼」なのかもしれません。(私はこれまで想定された最終章は沙羅の「告白」だと考えていましたが、もしかしたら「根源的な悪」との対決なのかもしれません)。多崎つくるは「彼」と対決しなければいけません。その時が来たのです。この対決は、つくるの身の安全をはかるなら本当は避けるべきことでしょう。もし、つくるが20歳の頃に「根源的な悪」と直接対決したら、いとも簡単に破滅されてしまっていたでしょう。しかし16年の歳月が流れ、つくるは悪と直接向き合えるだけ成長しました。立ち向かうなら今です。これが最終決戦です。
(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。)
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。⑫
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*激しくネタバレしています。ご注意願います。
23.なぜ、シロへの巡礼がない?
追補.シロへの巡礼はあった?(平成25年4月30日掲載)(5月2日追記)
24.沙羅はなぜ、多崎つくるに近づいたのか?
25.二人の結末は?①
23.なぜ、シロへの巡礼がない?
この多崎つくるの巡礼がアオ、アカ、クロと続きシロへの巡礼がないことに違和感を持った方も多いのではないでしょうか?いや死者とは邂逅できないだろ、ということはありません(死者との邂逅は村上春樹の真骨頂です)。浜松のマンションへ行ってみたり、シロのお墓へ行ったり、シロの実家を訪問してみたら、出されなかった多崎つくるあての手紙を発見したりとかいろいろ描写できるはずですし、むしろ彼の巡礼を締めくくる重要なエピソードになるはずです。
シロへの巡礼のエピソードがないのは意図的なものです。シロへの巡礼はこれから始まるのです。これから多崎つくるは、シロの姉である木元沙羅(21.沙羅は何者?参照)と会い、「真相」の告白(24.参照)を受けるはずです。しかし、この重要なエピソードは小説には掲載されていません。
追補.シロへの巡礼はあった?(平成25年4月30日掲載)(5月2日追記)
シロへの巡礼について、当初エントリーを書いた時の結論は上記(23.なぜ、シロへの巡礼がない?)でしたが、これは自分で書きながらちょっと違和感がありました。なぜなら、アオ・アカ・シロ・クロの色の意味は、四神獣(4.名前の意味は?参照)の意味だけではなく、四季も意味しているからです。
すなわち、
①春(青春、アオ)→②夏(朱夏、アカ)→③秋(白秋、シロ)
→④冬(玄冬、クロ)
の順番です。
巡礼は、当初はこの順番どおり①アオ、②アカと続いた後、③のシロを飛ばして、④クロへの巡礼となったようにみえます。④クロの後、戻って③シロへの巡礼というのが、この前の私の結論でしたが、四季の順番を村上春樹が重視しているとしたらこの順番はおかしい訳です。
それで小説を読み直して考えてみたのですが、実は②アカと④クロへの巡礼の間に、③シロへの巡礼はあったのです。
シロへの巡礼は、多崎つくるがアカへの巡礼を終え、クロへの巡礼に行く前に青山でありました。このとき、多崎つくるは、シロの姉である木元沙羅(21.沙羅は何者?参照)(沙羅双樹の花の色は白で彼女もシロ)と、真犯人である、柚木と沙羅の父親(15.シロを殺した犯人は誰?参照)(彼の名字は白根、彼もシロ)が一緒に歩いているところ(22.沙羅と一緒に歩いていた男性は誰?参照)見ることにより、真犯人との邂逅(といっても、多崎つくるは彼が真犯人であることはおろか、誰であるかもわかっていませんが)をします。まあ、邂逅といってもすれ違っただけですが。この時の邂逅そのものが「シロ」への巡礼だった訳です。しかし、多崎つくるは、これがシロへの巡礼であったことに気が付きませんでした。(私も、はじめは気が付きませんでしたが。)
(平成25年5月2日追記)
2点補足します。
第1に、上記の追補.の考察が正しいとすると、小説が終わった後になされると思われる沙羅の告白は、「シロへの巡礼」ではなかったことになりますが、これは沙羅の告白がなくなるという意味ではありません。小説内に明記されている以上、水曜日に沙羅の告白はなされるのです。(沙羅の告白の内容については次項(24.沙羅はなぜ、多崎つくるに近づいたのか?)をご覧ください。)
第2に、なぜ、巡礼の順番について村上春樹はこんなわかりにくい仕掛けをしたのかということです。
その理由は、村上春樹は、青山での沙羅及び一緒にいた男性との邂逅が、実は「シロへの巡礼」であることを四季の順番により示唆することによって、沙羅と一緒にいた男性が「シロ」であることを暗示しようとしたからです。もちろんシロというのは、容疑者のシロ・クロという意味ではありませんよ。「白根さん」の「シロ」であることを示すことによって、彼が柚木・沙羅の父親であることを暗示したのです。
シロへの巡礼とは「沙羅」へのみであって「男性」は関係ないのでは?ということはもちろんありえません。沙羅とは、今回の巡礼の始まり以前から今年は何度も会っている訳ですから、「アカとクロの間の時期に」沙羅(単体)への巡礼が行われたという解釈は無理かと思われます。当然、今年何度も会っている沙羅よりも、この時に初めて、ではなく久しぶり(おそらく16年ぶり)に会った「男性」の方が「シロへの巡礼」のメインになるのです。
推理小説なのですから、犯人につながる重要な手がかりは、文章中に示されているにも関わらず、分かりにくく、本来の意味は隠され、ともすれば見落としてしまうものでなくてはいけません。村上春樹は四季の順番に従って行われるはずの巡礼の順番の中に、密かに犯人につながる重要な手がかりを隠しておいたのです。
24.沙羅はなぜ、多崎つくるに近づいたのか?
沙羅が多崎つくるに近づいたのは偶然ではなく意図的なものです。なぜ近づいたのか?彼女は事件の真相をおそらく知っています。「真相」とは、「シロが実の父親からレイプされ、そして殺されたこと。そして彼女はそれを感づいているにも関わらず黙っていること。そして、その父親と性的関係にあること。」です。この罪は大きすぎて、これからこの罪を一人で抱えて人生を生きていくには重過ぎます。誰かに「断罪」してもらわなければ生きていけません。多分沙羅はつくるに赦してもらいたいとは思っていません。ただ、つくるに真相を告白し、彼の断罪を受けたいと思ったのです。
なぜ、断罪するのが「多崎つくる」なのか?もちろん、断罪するのは事情を知っている者でなくてはいけません。しかし、他のメンバー3人はむしろ事実の隠蔽に協力した「共犯」でしかありません。彼女を断罪できるのは純粋な被害者、多崎つくる君しかいないのです。
しかし、せっかく多崎つくる君に近づいたのに、彼が実際にはほとんど事情を知らなかったのに彼女はびっくりします。これではいけません。彼に断罪してもらうには事情を知ってもらう必要があります。そして、3人への巡礼の旅を彼女はお膳立てします。彼女が彼ら3人に個人的興味があるのは当たり前です。全然関係ないけど335ページで沙羅はクロのことを「彼女は良い子でしょう?」などと言っています。もはや隠す気もねー。(平成25年5月8日削除。コメントの指摘通り、このセリフはオルガを指してますね。)
(平成25年5月18日追記)(冒頭の恵比寿のバーで沙羅と多崎つくるが会ったとき、つくるは「できることなら、そんな記憶は消し去ってしまいたかった。」のに、「でも沙羅はなぜかつくるの高校時代の話を聞きたがっ」ています。)
25.二人の結末は?①
多崎つくるはクロの忠告を破り、あえて沙羅に男の人の話題をだします。(直接的には言っていませんが同じことです。)この忠告を破った結果は当然沙羅との関係の破局をもたらすことを暗示します。ただ、どちらにしても沙羅の「真相」の告白を受けたら、それを多崎つくるがどう受け止めるのか。どちらにしても深く絶望し、精神的に本当に死んでしまうような可能性のある重い告白です。ただ、彼女が「告白」の日取りを決めたのもつくるに「男の人」の話を出されたからです。これがなければ告白の日は引き延ばされ、結果的に告白はされなかったかもしれません。(次項(26.)参照)
しかし、私はクロの忠告を守らなかった、つくるの判断は今回正しかったと思います。
仮に多崎つくるがクロの忠告に従い「男の人」の話をしなかったとしましょう。次の項でそのシミュレーションをしてみます。
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