余談 その5 村上春樹氏講演(5月6日)の真意は?
(目次に戻る)(初めてこのブログに来られた方はまず目次をご覧ください。
*激しくネタバレしています。ご注意願います。
平成25年5月6日に京都大学で村上春樹氏の「公開インタビュー」が行われました。
各新聞に講演の概要が掲載されています。掲載された講演の概要のうち、「推理小説的」に重要な部分を抜き出して引用してみました。(いずれもWeb記事です。)
①「産経新聞」平成25年5月6日配信(下線は筆者によるもの)
(引用開始)
(前略)
「色彩を持たない-」については「前作『1Q84』は日常と非日常の境界が消失する小説だったが、現実と非現実が交錯しないリアリズム小説を書こうと思った」としたうえで、「全部リアリズムで書いた『ノルウェイの森』は文学的後退だと批判され、今回も同様のことが言われるかもしれないが、僕にとっては新しい試みだった」と振り返った。
(後略)
(引用終了)
②「時事通信社」平成25年5月6日配信(5月7日更新) (下線は筆者によるもの)
(引用開始)
(前略)
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」に触れ、前作「1Q84」で日常と非日常の境が消失した世界を描いたのに対して「今回は、表面的は全部現実だが、その底に非現実があるというものをやりたかった。新しい文学的試み」などと語った。
(後略)
(引用終了)
さて、①と②の下線部についてですが、似ているようで言っていることが全然違います。①だと「この小説は100%のリアリズム小説。非現実は交錯しない。」と言っているのに対して、②だと「この小説は一見リアリズム小説に見えるけど、その底には非現実世界があるんだよ。」と言っている訳で矛盾していると言っていいです。どちらかが正しくてどちらが間違っているのでしょうか?あるいは、どちらも間違っているのか?あるいは、どちらも正しいのか?
私の考えでは、たぶん講演ではどちらも話しているのかな、と思います。まず、①下線部のような発言をした後で、内心「しまった、ネタバレしすぎた。」と思って、その後で②下線部のように、①下線部の発言と矛盾するような発言をして講演の来場者を(そして読者を)けむに巻いたのではないでしょうか?
①下線部の発言がもし村上春樹氏が本当にされたのだとしたら、かなり「核心をついたネタバレ発言」であって、基本的にネタばらしをしないはずの村上春樹氏としてはうっかり発言と言わざるを得ません。次のエントリーでは、なぜ、この発言がうっかり発言なのか、この小説の構造について詳細に検討いたします。
余談ですが、日本経済新聞(平成25年5月7日配信)では、(以下引用開始)「『生身の人間に対する興味が出てきた』」(以上引用終了)と語っているとあります。なかなか意味深ですね(直接的には登場人物が増えたことの説明みたいですが)。
あと「新しい試み」というのはおそらく「リアリズム小説」のことではないですよね。既に「ノルウェイの森」でやっていますので。私としては「推理小説」を書いたのが村上春樹氏の密かな「新しい試み」なのではないかと思っているのですが。
とはいえ直接講演に参加した訳ではないので、あくまで新聞からの推測です。実際に参加された方がいらっしゃいましたら、情報提供してくださると嬉しいです。よろしくお願いします。
(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。)