「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」は推理小説である。(感想・考察・謎解き)  (ネタバレあり)

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)の謎解き。事件の真相・犯人を推理し、特定します。

余談 その4 「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」はいつの年の話?(平成25年5月9日追記あり)

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*激しくネタバレしています。ご注意願います。

 (平成25年5月9日追記しました。) 

 

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色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」はいつの年の話なのでしょうか?

 多崎つくるがグループから「追放」され、彼が死に近づいた年は、(日本人である)多崎つくるにとって、また作家村上春樹にとって、あるいは日本人全体にとって象徴的な年であるはずです。

 結論からいうと、彼が「追放」され死に近づいた年は、1995年、阪神淡路大震災及びオウム真理教地下鉄サリン事件の起こった年です。(45ページのニュース画像の比喩は大震災の起こった年であることを暗示しています。)

 彼の年齢は、彼がグループから追放され死に近づいたこの年が、彼が「少年」から「大人」に変わる通過儀礼の年であることを示しています。彼はこの年20歳になり成人します。そして年が改まり1月になって、彼は死をくぐりぬけ、「少年」である彼は死に、「大人」の彼として再生します。どうでもいい話ですが、1月は成人式の日があります。

 

 では、現在(彼が巡礼を始めた年)はいつなのでしょうか?これは2説考えられます。

 

 ひとつの説は暦年を重視した場合です。この小説では、「(グループから追放された年から)16年」という言葉が何回か出てきます。単純にこれを暦年と考えれば2011年、東日本大震災及び福島原発事故の年になります。

 しかし、この説だと彼の年齢は35歳でないといけません。彼の誕生日は11月だと考えられます。これは131ページにつくるが初めて女性と性的関係になったとき(おそらくこれは5月)21歳と6か月だったという描写からわかります。(追放された翌年に灰田と出会い、その次の年に灰田が去った年のことです。)

 しかし、彼の巡礼の時期は5月~6月または7月にかけてのことです。まだ、彼は誕生日を迎えていないため、2011年説では彼は現在35歳であるということになってしまいます(年齢は作者の単純な間違いなのかも知れませんが)。

 

 もうひとつの説は、年齢を重視した場合です。これも複数回、多崎つくるは現在「36歳」である描写がされています。そうすると、現在は2012年ということになります。しかし、なんか多分「16年」て、7月に追放された時点を起点にしていると思うんですよね。2012年が正しいとすると正確には16年と1011ヶ月前ってことになってしまい、まあ16年でも間違ってはいないけど、なんかね、という感じがします。

 

 私としては象徴的な意味でも前者(2011年説)をとりたいのですが、皆様はどう思われますか?

 

(平成2559日追記)

(※この時点では、下記のように考察して、2012年説をとりましたが、コメントの指摘を受け読み直したところ、結局2011年説の方が妥当かと思われます。)

 

 上記では、2011年説を推しましたが、改めて考えてみると、やはり小説の「現在」の年は2012年なのだと思われます。やはり2011年だと年齢がおかしいです。

 想像ですが、作者は当初「現在」の年代設定を2011年で予定していたのだと思います。「16年」の強調は象徴的な年である1995年から同じく象徴的な2011年への16年を意味しているようにしかみえないのですね。

 

 しかし、この小説の「現在」の物語がはじまるのが2011年の5月だとすると、東日本大震災から2ヶ月しか経っておらず、まだ原発事故や節電等で、騒然としていた頃です。あまり恵比寿のバーで優雅に飲んでいるような雰囲気でもないのですね。まあ実際には節電が叫ばれたとはいっても、レストランもバーも普通に営業してはいましたが。

この時期に、東京の街の景色や雰囲気に震災の影響(節電など)が全くなく、全ての登場人物達の言動が大震災や原発事故についてまったく触れることがないのは、やはり極めて不自然であると作者は考えたと思われます。一方で、この小説で東日本大震災原発事故について明示的に触れてしまうと、非常に重い問題であるが故に本作のテーマを大きく変えてしまいかねません。このため、20115月の東京をこの小説の「現在」の舞台にはできないと作者は考え、小説の「現在」の年を2011年から変えたのだと思います。

しかし、やはりこの小説は2011年を通過したものです。この小説は2011年をきっかけに、1995年に思いを巡らす巡礼の旅なのです。だから、「現在」は2011年より後になります。「現在」は2012年です。2013年以降は年齢・年の計算が合いませんのでもちろん除外です。)

 

*また、細かい話ですが、カレンダー的にも小説の現在は2011年ではなく、2012年であることを示しています。

 

2012年の場合)つくるは、5月の終わりに週末にかけて3日間(土・日・月)アオ、アカに会いに名古屋へ行きます。2012年ですと、52628日です。翌日(29日)沙羅から電話があって、明後日(31日)に沙羅と広尾で会って、来月(6月)になれば仕事が一段落するのでフィンランドに行きたいと言います。その週末(62日)の2週間後(616日)フィンランドへ行きます。という感じでカレンダー通りスムーズに話は進みます。

 

2011年の場合)つくるは、5月の終わりに週末にかけて3日間(土・日・月)アオ、アカに会いに名古屋へ行きます。2011年ですと、52830日です。翌日(31日)沙羅から電話があって、明後日(62日)に沙羅と広尾で会って、来月(7月)になれば仕事が一段落するのでフィンランドに行きたいと言います。しかし、これでは7月につくるがフィンランドに行く予定だという話になってしまいます。実際には、その週末(64日)の2週間後(618日)フィンランドへ行くことになるため、これではつじつまが合いません。やはり2011年ではおかしいです。

 

(平成29年2月6日追記)

 上記の(平成25年5月9日追記)では、2012年説が有力としたのですが、grasshopperさんの コメントのとおり、つくるがフィンランドへ行ったのは7月のようです。とすると、2011年説の方が有力ということになります。「週末」は、「今週末」ではなく、2~3週間後の週末だったみたいですね。grasshopperさん、ご指摘有難うございます。

 

(お読みいただきありがとうございます。もし、よろしければ感想などありましたら、コメント欄にコメントしていただけると嬉しいです。)